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年の暮れが近づいたある夜、Kさんが来ました。
いつもお越しになる時間よりかなり遅い時間でした。珍しく酔っている様子で、『よぉ』と声を掛けてくれましたが、何となく機嫌がよくありませんでした。
『どうしたんですか?』
『何もないよ。生、くれ』生大をお出しすると、いつもと違い一口だけ飲んで置いてしまいました。
『大丈夫、まだ飲まれてへんよ』
『らしくないね。何か出そうか?』
『すんません、適当に頼んますわ』
宴会のお客さんが帰ったあとなので、お店の中は結構落ち着いてました。僕は片付けとかしながらKさんの様子を見守っていました。ただ黙々とお料理を食べ、チビチビと生ビールを飲む後ろ姿はすごく寂しそうでした。
僕に何かしてあげられることはないかな、と思いましたが何もなさそうでした。
『おおーい、直紀!』
突然、Kさんが声を上げました。いつもなら君付けなのに今日に限って呼び捨て、少しびっくりしてるとKさんが座ったまま僕の方に向きました。
『俺、お前のファンやで!ほんま、可愛いヤツや、お前は。今度、デートしようや!』
酔っ払いの戯言、でも、僕にはそう聞こえませんでした。
『Kさん、酔ってるよ。直紀は男の子だよ。ほら、お茶漬け出してやるから、今日はもう帰んなさいよ』店長さんが困惑顔で言いましたが、僕は呆然としたままでした。
『直紀、これ』
店長さんに呼ばれてハッとしました。Kさんのためのお茶漬けが出てきました。僕はすぐに受け取らず、レジへと走りメモをちぎってメッセージを書き付けました。
『直紀!』
『あ、はい、ごめんなさーい』
僕はお茶碗の下にメモを忍ばせてKさんの前に置きました。
『ごめんな、これ食ったら帰るわ』
『気を付けてくださいね』僕はKさんのそばを離れました。
『すみません、店長。ちょっとお手洗い行きます』
次の日、僕はお母さんに嘘をつきました。『バイトあるから』と。
僕は制服の上にコートを羽織って駅の改札に立ってました。
『僕でいいですか?明日、七時に駅で待ってます』
Kさんへのメッセージはそう書きました。
僕の、精一杯の勇気のつもりでした。
いつも可愛がってくださるけど、Kさんは僕に特別な感情なんてないだろう、でも、もう自分の気持ちに嘘をつけませんでした。
来なかったら今日一晩思い切り泣いたらいいんだ、それで明日からまた頑張ればいいんだ、Kさんも僕の顔なんて見たくないだろう。風は冷たく、待つ心は切なくて辛かった。ネガティブな思考がどうしても先立つ…。
ポンと肩を叩かれました。顔を上げると、Kさんの大きな体。『よっ』といつもの挨拶だけど、少しバツが悪そうな表情でした。
涙が溢れてきました。
『どないしたん?』
『来てくれないと思って…もう会えないと思って…』『大げさやなぁ。泣くなよもう…』
僕の心に灯りがついた瞬間でした。
二人で暗くなった公園を歩きました。
お話するでもなく、ただ歩きました。
僕はそれだけで幸せに思えたのです。そして、Kさんが好きなんだと、はっきり確信しました。
その好きな人というと、真っすぐ前を見つめて、いつもと変わらないむっつり。昨日のことは冗談だったのかな?でもいいや、今すごく心地いいから…。
僕はKさんのコートの袖をギュッと握りました。本当は腕を組みたかったけど、ふしだらな子と思われたくなくて、やめました。
Kさんがふと立ち止まりました。『座ろか?』
僕がベンチに腰掛けると、Kさんが缶コーヒーを買ってきてくれ、投げてよこしてくれました。隣に座るとタバコに火を点け、コーヒーを一口飲みました。
僕は缶コーヒーをカイロ代わりに両手でもてあそんでいました。
何にも会話はなし。
『昨日のことな…』
最初に口を開いたのはKさんでした。
僕は思わず体を固くしました。いきなり核心なんて思いもしませんでした。
『あれな、嘘とちゃうよ。今日、会えてよかったよ』そう言ってタバコを吹かしました。
『過去形、なんですか?』『あ?』
『僕のこと、どう見てるんですか?弟?子供?』
また沈黙に戻ってしまいましたが、やがて深いため息をつきました。
『…最初見た時から可愛いと思ってるよ。可愛いてしょうがないわ』
缶を持つ僕の手にKさんの大きな手がかぶさってきました。
『…で?』
『だから。…好きなんやって。…あー、くそ!何言うてんねん!』顔を赤くするKさんがおかしくて、僕は思わず笑ってしまいました。
『笑うな。大人をおちょくんなや』
『僕も、好きだよ。大好きです』
自分でもびっくりするぐらいスラスラと告白の言葉が出ました。
『…いいの?僕で?きれいじゃないし…ほんとに?』真剣に聞きました。
『何言うねん。充分可愛いやないか。…君こそ、こんなオッサンでええんか?』『素敵だと、思います』
次の瞬間、僕は抱き締められました。
『ありがとう。…仲良くしよな』
『…うん』
そこからキスへはごく自然にすすみました。唇を重ね合わせるだけの軽いのだけど僕には大きな第一歩。
ゆっくり体を離すとKさんが立ち上がりました。
『お腹空いたやろ?ラーメン食いにいこか?』
『はいっ』
僕らの関係が始まった瞬間でした。
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