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失恋とはちょっと違うかもしれませんが…僕が高校生の頃、10年位前の話です。
僕はお父さんを小さい頃に亡くしていて、当然生活は貧しかったです。
お母さんは一生懸命働いてくれ、高校まで入れてもらえました。
愛情は人一倍注いでもらえてたと思います。
ただ、お父さんがいないことは僕の心のどこかで澱みのように溜まっていたのかもしれません。
高校一年の夏休み明け、僕はアルバイトを始めました。家計を助けるためと、社会勉強のために週四日。場所は近所の居酒屋さんで、夕方から11時までのお仕事でした。
僕は鈍臭くて、注文を取り違えたりとかいつもでした。でも、店長さんとかみんな優しく接してくれて、お仕事するのが楽しかったです。
『あの人』が来たのは、ちょうど秋の真ん中ぐらい、平日の開店時間と同時でした。
『いらっしゃいませー』
お店の人や僕の声に迎えられて、その人は真っすぐにカウンターに座りました。僕がすぐに伺うとその人は『生大』と言いました。
『ごめんなさい、中しかないんです』
僕が告げると『あ、そ。じゃあ中でいいや』と返してくれました。
普通のサラリーマンかな?ただ、背が高くて体付きも野球選手みたいな感じでした。年は30代ぐらいに見えました。
生中をお持ちするとその人は『お』と短く答えて、一気に干してしまいました。『うしっ!』って口を拭い『おかわりね』とジョッキを僕に返してきました。
呆気にとられてる僕を傍らにさっさとメニューを見はじめると『なんかオススメとか、ある?』と聞いてこられました。何となく、関西弁のイントネーションでした。
『あ、ごめんなさい。僕、ちょっとわからないんで…』
『あ、そ。じゃあ大将に聞いてくれる?』
とお通しに手を付けはじめました。
僕は厨房の店長さんのところにおかわりの生中を取りに行きました。
するとお客さんの声が。
『このイワシ、うまいねー!』
『あ、ありがとうございます』僕はおかわりを持ってカウンターへ小走りに行きました。お客さんは一口飲まれましたが、それだけでもう半分なくなってしまう飲みっぷりでした。
飲み食いが好きなんでしょうね、店長さんと色々話して次々と注文されてました。そのうち、他のお客さんが来られたので僕はそっちの応対にまわり、カウンターのお客さんは店長さんに任せっきりになりました。それでもおかわりをお持ちするのは僕の役目ですからちょこちょことカウンターの方へは行きました。
ほんとにすごい飲みっぷりでした。ビールなんてほとんど水みたいで、お料理も結構食べられます。それで全然酔ってなくて、同じ調子で『お』『お』と受け答えしては飲み、食べる。
『お客さま、なんか豪快ですね〜』思わず声をかけてしまいました。
『そうか?…まあ、食うこと好きやからね。…君、高校生?』
『あ、はい』
『頑張りな?君みたいなん俺、好きやぞ』
何か気恥ずかしくなりました。
結局、そのお客さんは一人分には高いお代を払って帰っていかれました。
僕は少し誉められた気がして嬉しくて、気持ち良くその日を終えました。
それから一日おいて、お店に僕が入ると店長さんに言われました。
『おとといのお客さん、昨日も来てくれたよ』
『そうなんですか?』
『君のこと、誉めてたよ。挨拶がきちんとできて、ハキハキ受け答えができる、今時の子には珍しいな、捨てたもんじゃないな、ってね』
『は、はぁ』
『また来るってさ。すごく気に入ってるみたいだから相手してやりなよ。よく食べてくれるしね』
『あ、はいっ、頑張りますっ』
僕は当たり前のことしかしていないのに、こんなに誉めらるなんて思いもしませんでした。
その週末、あの人はやってきました。店内は混み始めてましたが、僕の姿を見て笑って見せると『よっ』といつものカウンターに座りました。『生中ね』と言われましたが、店長さんが遮りました。『お客さん、どうせ牛みたいに飲むんだから大で出しますよ。…直紀、お出ししな。注げるだろ?』
真新しい大ジョッキに生ビールをなみなみ注いでお持ちすると、『お』ではなく『や、ありがとう』と受け取ってくれました。一気に半分近く飲んでしまいました。
『相変わらずいい飲みっぷりですね』僕が言うと、
『こら、ナマ言ってんじゃない。それより直紀、これお出ししな』店長さんからのサービスでした。
この人は行くお店お店ですぐに常連さんになるんだろうな、むっつりに見えて案外人懐っこいのかな、なんて思いました。
それからお店は満員になり僕もあっちこっちと忙しく飛び回りました。ただ、違うのは『直紀、カウンターにな』『おい、直紀、カウンターさんお呼びだ』とあのお客さんの専属みたいに使われたことでした。お客さんもオーダーの時に僕を探してるみたいで、可愛がって頂いてるんだな、何となく嬉しかったです。
そんななか、僕はオーダーを間違えるミスをしてしまいました。
お客さんはすごい剣幕で、主任さんが対応しても許そうとしないばかりか、料金を払わないとまで言い出します。
僕は小さくなってただただ頭を下げるだけでした。
『やかましなぁ』そこに立っていたのは、カウンターのあの人でした。
『こんな子供のヘタ一つにワーワー言いなさんな。一生懸命謝ってるやんか』
『何だ、この野郎』
『もうえーから。オッサン酔っとるし、俺が払ったってもええから、もう帰り』『やんのか、こら』
『帰れ』
最後の一言は静かだけど、何となく恐ろしい威嚇がこもった『帰れ』でした。酔ったお客さんはしばらく睨み付けてましたが、色々捨てゼリフを残して出ていかれました。
他のお客さんから拍手喝采が起きました。あの人は主任さんに『すんません、いらんことして』とお金を渡してました。
僕はいても立っていられなくて、その場で泣きだしてしまいました。
『大将、ちょっとよろしいか?』
『頼みます』
僕はお客さんと外に出ました。
路地裏で僕は泣き止めず、お客さんはただそれを見守るだけ。ようやく、治まってくるとお客さんが言いました。
『えらいな、直紀君は。ちゃんと誠意を込めて謝れるやね。ほんま、えらいな』僕は何か言おうとしたけど言葉になりませんでした。『泣くな、ほら。男前が台無しやぞ?』
男前なんて言われたことなかった。『見栄晴』なんて言われることが多かったから、美少年じゃないはずでした。
『僕…』
『なに?』
『僕、男前じゃないです』言ってしまうと何となく心に余裕ができて、ちょっとだけ笑顔を見せることができました。
『そーや、その顔だよ』
お客さんは僕の髪をクシャクシャとしてくれました。『うしっ!飲み直しや!大将に言うて芋、キープ入れてくれ!』
その日、僕はボトルのカードでお客さんの名前がKさんというのを知りました。
Kさんはそれからも何度となく、お店に来てくれました。僕を我が子か弟のように可愛がってくださるKさんを僕は慕い始めていました。
それは今思えば恋心だったのでしょうか。
家庭の事情からもあったかもしれませんが、同性愛なんて知らなかった僕の胸に芽生えた、かすかな感情でした。
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